【角川まんが日本の歴史】吉田松陰と松下村塾の弟子たち ~11巻「黒船と開国 ●江戸時代後期」

2022年11月3日

お疲れ様です。あかいあくまです😈

ご紹介あかいあくま

角川まんが日本の歴史シリーズ 第11巻「黒船と開国 ●江戸時代後期」について、あらすじと見どころをご紹介します
この記事の後半で、吉田松陰と彼が教えていた松下村塾や弟子たちについても書いています

日本の歴史シリーズは、日本のいろいろな時代について学ぶことができる本です。受験勉強としても使えるレベルの本です。

日本の歴史シリーズに関する紹介はこちらをお読みください。

目次

第11巻「黒船と開国 ●江戸時代後期」あらすじ

タイトル一覧

第11巻「黒船と開国 ●江戸時代後期」のタイトルは以下の通りです

1章 外国船の出現と天保の改革
 ・天保の飢饉と打ちこわしの増加
 ・異国船打払令と大塩の乱
 ・蛮社の獄
 ・水野忠邦と天保の改革

2章 黒船がやってきた!
 ・ペリー来航
 ・日米和親条約 ー鎖国の終わり
 ・不平等な日米修好通商条約
 ・安政の大獄

3章 尊王攘夷
 ・桜田門外の変
 ・皇女 和宮の降嫁 ー公武合体
 ・開国か、攘夷か
 ・禁門の変

4章 江戸幕府の終わり
 ・倒幕への動き
 ・坂本龍馬と薩長同盟
 ・最後の将軍 徳川慶喜
 ・大政奉還


あらすじ

1章 外国船の出現と天保の改革

1章でわかること
  • 11代将軍・徳川家斉は将軍職を譲った後も大御所として政治の実権をにぎった
  • 全国的な飢饉により農民一揆や打ちこわしが起こり、大塩の乱は大きな影響を与えた
  • 「異国船打払い令」に反対し開国を主張する蘭学者などは蛮社の獄で弾圧された
  • 水野忠邦の「天保の改革」はことごとく失敗に終わった…

2章 黒船がやってきた!

2章でわかること
  • ペリーが来航し開国を要求したが、幕府内で意見が分かれてすぐには決断を下せなかった
  • 外国の開国要求に屈し「日米和親条約」「日米修好通商条約」を結び鎖国の時代が終結した
  • 大老となった井伊直弼は幕府に反対する勢力を弾圧した

3章 尊王攘夷

3章でわかること
  • 長州藩や薩摩藩は財政を充実し、軍事力を高めた
  • 朝廷から水戸藩への密勅に対し幕府が圧力をかけたことで、水戸藩の攘夷派は井伊直弼を暗殺した
  • 失墜した幕府の権威を取り戻そうと「公武合体」が推し進められた
  • 長州藩は倒幕を朝廷に持ち掛けるなど強引なやり方で御所警護から外されてしまう
  • 名誉を回復したい長州藩は京へ上って禁門の変がおこる

新撰組の近藤勇、土方歳三、沖田総司は天然理心流という流派で剣術修行をしました。江戸時代に創始された天然理心流は現在どうなっているでしょうか?

日本の歴史11巻では少ししか登場しない新撰組ですが、どんな組織だったのか詳しく解説します。

土方歳三が使っていた和泉守兼定についてはこちら!

4章 江戸幕府の終わり

4章でわかること
  • 長州藩は攘夷派による外国船への砲撃事件で、外国との戦力の差を思い知る
  • 薩摩藩は薩英戦争の大敗後、イギリスとの関係を深める
  • 対立していた長州藩と薩摩藩は坂本龍馬により手を組み薩長同盟を結ぶ
  • 坂本龍馬は土佐藩と協力して「大政奉還」を実現したが、反対勢力により暗殺された

吉田松陰と松下村塾の弟子たち

吉田松陰とは

吉田松陰
画像引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E7%94%B0%E6%9D%BE%E9%99%B0#%E6%80%9D%E6%83%B3

吉田松陰は幕末に活躍した武士、教育者です。ペリーが来航した際には、西洋の進んだ文明を学ぶため盗んだ小舟で外国船に乗り込んで直談判するなど、行動力のある人物でした。老中を襲撃する計画を立て投獄されるなど、倒幕のため活動しますが、1859年の安政の大獄で、満29歳で斬首となりました。

29年という短い生涯でしたが、幕末から明治にかけて活躍する多くの若者たちへ影響を与えました。

解説あかいあくま

中田英寿がサッカー選手を引退した際と同じ年齢ですね
若くして多くの人に影響を与えたという共通点を感じます

吉田松陰と松下村塾

松下村塾は、現在の山口県萩市に存在した私塾で、吉田松陰が指導していたことで知られています。1857年(安政4年)に同塾を松陰が引き継ぎますが、翌年には老中首座・間部詮勝要撃策を提言して幽囚されています。同塾で指導していたのは1年余りの短い間です。塾での講義の様子としては、塾生一人一人の個性を尊重し、時事問題を取り上げて活発に議論をするものでした。

松下村塾の弟子たち

松下村塾で松陰に影響を受けた人物は以下の通りです。

  • 久坂玄瑞
  • 高杉晋作
  • 伊藤博文
  • 山縣有朋
  • 吉田稔麿
  • 入江九一

久坂玄瑞、高杉晋作は「松下村塾の双璧」と呼ばれました。また、この2人に吉田稔麿、入江九一を加えて「松下村塾の四天王」と称されました。明治維新後に内閣総理大臣を務めた伊藤博文や山県有朋なども塾生でした。

感嘆あかいあくま

歴史の教科書に登場するような人物がたくさんいたんですね
吉田松陰のすごさがわかります

現代でも引き継がれる吉田松陰の思い

吉田松陰の思いは現代の学校にも引き継がれています

松陰高等学校(山口県)

吉田松陰の地元である山口県の学校です。通信制で生徒一人一人に応じたカリキュラムを組む「松陰メソッド」で学ぶことができます。

八千代松陰学園(千葉県)

千葉県にあるスポーツが盛んな学校で、「松陰ブルー」と呼ばれるアクアブルーをスクールカラーとしています。

吉田松陰が盗んだ小舟で外国船に侵入する場面はこちらで読めます↓↓↓


まとめ

角川まんが学習シリーズ 日本の歴史11巻についてご紹介しました。

吉田松陰は29歳という短い生涯でしたが、幕末の多くの若者たちに影響を与えました。明治維新で活躍して歴史に名を残した人物にも、吉田松陰の指導していた松下村塾で学んでいた人物が多くいます。また、現代でも名称に松陰の名がついた学校名が多く存在し、今でもその思想が受け継がれていることがわかりますね。

教育語りあかいあくま

教育をするということは未来を作ることだということがよくわかりました!

以上。よろしくお願いいたします。

吉田松陰について理解して、お腹がすいてきた方はこちら↓↓↓


江戸時代が始まる前の戦国時代についても記事を書いています↓↓↓↓