【土方歳三の愛刀】和泉守兼定
お疲れ様です。あかいあくまです😈
先日長男くんと京都で開催している新撰組展2022へいってきました。
新撰組の創成期から、幕末の動乱、箱館戦争、明治、までの新撰組に関わる展示がされていました。
中でも見所は、あかいあくまが憧れる土方歳三の愛刀である和泉守兼定。普段は土方歳三資料館に展示されていますが、今回新撰組展に展示されることになりました。
日本刀の展示をみに行くのは、実はこれが初めてでした。実際にみる日本刀はとても美しく、素人目にも丁寧に作られたものであることがわかりました。
でもやっぱり和泉守兼定に関する前提知識や背景がわかっていると、より深く感動できるのだと思います。
ということで、今回は和泉守兼定についてご紹介します。
その前に土方歳三の剣術流派「天然理心流」についても知っておきましょう
目次
和泉守兼定とは
美濃国関(現在の岐阜県関市)にて活動した刀鍛冶兼定が始祖となり、明治時代まで11代続いた日本刀の銘、刀工の名前です。
2代目兼定(通称「のさだ」)が和泉守を授かり、以降「和泉守兼定」の銘を付けています。2代目の作は細川忠興や武田信虎などの一流武将が使用していたことで知られています。
4代目兼定が室町時代末期に会津へ移住します。会津藩主の松平容保が京都守護職となった際に、11代目兼定もともに京へ上り、作刀していたようです。
新撰組が会津藩お抱えの組織となった縁で、松平容保から土方歳三へ贈られたのが、和泉守兼定です。
土方歳三と和泉守兼定
土方歳三が所持していた和泉守兼定は11代兼定が作刀したものと言われています。京都守護職となった会津藩主松平容保から土方歳三に贈られました。
土方歳三資料館に現存しており、新撰組展2022でも展示されました。
展示されているものは刃渡り70.3㌢ですが、土方歳三は長さの異なる和泉守兼定を何振りか所持していたようです。それほどまでに好んでいたということですね。
創作上の和泉守兼定
土方歳三を描いた小説としてとても有名な司馬遼太郎「燃えよ剣」の中でも、和泉守兼定が登場します。
創作上の世界では、最も有名な2代目兼定(通称「のさだ」)を探して回り、浅草の古道具屋の盲目の老人から五両で手に入れる、というエピソードです。
のさだであれば室町時代に造られたものですから、それが数百年後の幕末で土方歳三と出会い、歴史を作ったとなると夢がありますね。
まとめ
土方歳三の愛刀である和泉守兼定についてご紹介しました。
美濃の刀鍛冶である兼定に始まり、2代目兼定は和泉守を授かることから和泉守兼定の銘を使うようになりました。
4代目兼定が会津へ移り住み、11代目兼定と新撰組を統括していた京都守護職の松平容保の縁で、土方歳三に和泉守兼定が贈られます。
土方歳三資料館に現存する和泉守兼定を使い、箱館戦争を戦いました。
みなさんも機会があったら和泉守兼定を見に行ってみてくださいね!
以上。よろしくお願いいたします。
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