謎多き画家 雪舟の謎

2022年2月3日

お疲れ様です。あかいあくま😈です。

水墨画の巨匠である雪舟。

彼の描いた水墨画のうち6つの作品が国宝に指定されています。

まさに日本の歴史上でも有数の芸術家と呼べますが、そんな彼には近年の美術界を揺るがす大きな謎がありました。

それは、拙宗という別の名前で活動していた時期がある、ということです。

この記事では雪舟と拙宗の同一人物説について詳しく解説していきます。

雪舟が登場する日本の歴史7巻のあらすじはこちら↓↓↓

目次

雪舟について

雪舟は1420年に備中国赤浜に生まれました。
幼いころから宝福寺に入り修業しました。宝福寺では絵を描いてばかりで経を読まず、雪舟は柱にしばりつけられてしまいますが、自分の涙で鼠の絵を描いたというエピソードが残っています。

その後、京都の相国寺へ移り、天章周文に絵を学びました。
1454年ごろになると周防国へ移り、守護大名の大内教弘に受け入れられます。
現在の山口県に雲谷庵を構え、ここを拠点に創作活動を行っていきます。

1467年には遣明船へ乗り明へ渡り、約2年間明の水墨画を学びました。
帰国後も多くの作品を残し、現在ではそのうち6点が国宝に指定されています。

代表作

国宝『天橋立図』

雪舟が80歳を超えてから、日本三景のうちの一つである天橋立を描いた作品です。
パッと見ると単なる風景画のようにも見えますが、実はこの絵画にも謎があります。

それは…
この風景を見ることのできる場所は存在しない、ということです。
写真などが無い時代に描かれていますので、当然誰かの撮影した写真を見て描いたということはあり得ません。
天橋立が精緻に描かれていることから、実際に訪れて風景を見て描いたと想像されます。

しかし、よく見ると手前に山が描かれていて、かなり高い位置からのみた鳥観図のような構図になっています。
山に登ってみた風景であれば、手前に山は無いはずです。
飛行機にでも乗って天橋立を見たことがあるような構図を80歳の老人がどのように描いたのかは謎です。

国宝『四季山水図巻(山水長巻)』

全長16メートルに及ぶ長巻の上に、春から冬にかけての四季を表現した作品です。

1486年雪舟が66歳の頃の作品です。この頃雪舟は大内氏のもとで創作活動に励んでいました。そのため大内氏が所有していたものでしたが、大内氏は衰退してしまいます。現在は大内氏を滅ぼした毛利氏の所有となり、毛利博物館の所蔵となっています。

同一人物と言われる拙宗とは?

拙宗について

拙宗もまた雪舟と同様に山口で活動していた画家です。
活動時期も雪舟と同時期です。また、拙宗の作品が描かれた時期は雪舟が30歳代ごろまでです。
つまり、30歳代ごろまでは拙宗と名乗っていて、その後雪舟に名前を変えて活動していった。
と考えるのが自然ですね。

近年の研究からも雪舟と拙宗が同一人物であるということはほぼ確実とされています。

まとめ

水墨画の巨匠である雪舟には謎がありました。
それは、拙宗という名の画家が実は雪舟と同一人物ではないか、というものです。
この謎は近年の研究で同一人物ということがわかってきました。

2人の作品を比べると、作風が異なっていたり、雪舟は風景画が多く、拙宗は人物がが多い、など異なる点も見られ、別の人物とする説もありました。

個人的にはこれは、明に渡って絵画を学んだことが作風に大きく影響したのではないかな、と思っています。
当時は情報伝達の技術も無いので、海外の画家の作品を見ることも難しかったと考えられます。そのため、実際に明へ渡って学習したことは大きな刺激になったと推測されます。

研究結果は同一人物であるということでしたが、実際にどうだったのかは確かめようがなく謎のままです。
このような謎を知ることが歴史を学ぶ楽しさでもある、と再認識させられました。

以上。よろしくお願いいたします。